この本、わりと有名な本なんだけど「読む」とはなにかについて考えさせられたので名著だった。
ただマジメに書くのもつまらないので、本書を読んだら、
大学教授の背後にある本棚の価値が下がった。
━━という話をしてみる。
決して大学教授に喧嘩を売るわけじゃないので、誤解はなきようにお願いします。
言っちゃった……
まず最初に、この本はタブーを破って言ってしまう。
学者の間では(読んでない本を読んだと)嘘をつくのは当たり前になっている。
『読んでいない本について堂々と語る方法』より
言っちゃった。言っちゃいけないこと言っちゃった。
でも、イェール大学の成田悠輔さんは「言っちゃいけないことは、たいてい正しい」と言っているので、本書の著者のこの発言も正しいのだろう。
まあ、そりゃ考えてみれば当たり前の話で、たとえ24時間を自由に使えるニートでも一生の間に読める本の数はわずかだ。
ちなみに別の本なんだけど、『読まなくてもいい本の読書案内』ではこう書かれている。
現時点で約1億3000万冊の書物の存在が確認されている。
15歳から85歳まで毎日1冊読んだとしても、死ぬまでに書物の総数のせいぜい0.02% (26,000冊) しか読めない。
『読まなくてもいい本の読書案内』より
研究だけでなく、大学の事務作業にも時間を使わないといけない忙しい大学の先生が大した数の本を読めるわけがない。
なので、大学の先生には「読んでいない本について堂々と語る技術」が必要になる。というのが本書のキモ。
「読んだ」のハードルを低くする
本書には、シェイクスピア『ハムレット』や、バルザックの『幻滅』の話が出てくるんだけど、このへんの例は日本人にはピンとこないので省略する。
本書で言われているのは、要は、
「読んだ」のハードルを低くしろ。
━━ということ。
広義に言えば、本の著者名とタイトルを読んだだけでも「読んだ」と言っていいはずだ。
なぜか学校では「本は最初から最後までちゃんと読まないといけない」という謎ルールを教えられるけど、それはハードルが高すぎる。
(本書ではこの謎ルールのことを「通読義務」と言ってバカにしている)
プライドの高い大学教授が「読んでない」と堂々と言えるわけがないと思うんだけど、本書の著者のピエール・バイヤール(パリ第8大学教授)は、堂々とこう書いてしまう。
本書には著者が「読んだ」という本がたくさん出てくるんだけど、
シェイクスピア『ハムレット』〈聞〉×
━━などと書かれている。
これはつまり、
『ハムレット』は読んでないし人から聞いただけだけど、つまらないと思った。
━━と著者は言っているわけで、この開き直り感はすごい。
でもこれは正しく開き直っているわけで、「読んだ」のハードルを低くしていることに成功している。
本書は読んだのハードルを下げてたくさんの本を読んだことにできる多読術の本でもあるんだ。
大学教授の背後の本棚の価値が下がる
テレビで大学教授の人がコメントを求められると、だいたい本棚の前で教授がインタビューに答えている。
お茶の間の素人は、「こんなにたくさん本を読んでるなんて、さすが大学教授ね」と思ってその権威にひれ伏す。
でも、その教授の背後にある本棚は「読んでいない本」で埋め尽くされているんだ。
教授の背後にある本棚は「読んでいない本」で埋め尽くされていると思うと、急に教授にも親近感が湧いてくる。
美容系YouTuberは演出の小道具として強すぎる照明を顔に当てることで視聴者をだますけど、大学教授は読んでない本で埋め尽くされた本棚で茶の間をだますんだ。
大学教授と美容系YouTuberは同じなのかもしれない。
大学教授が読んだのハードルを低くするのは危険でもある
ただし大学教授(特に文系)の場合は、「読んでいない本について堂々と語る」のはけっこう危ない。
文系は特に「本を読んでナンボ」みたいな空気がある上に、読んでいない本をエアプしてしまうと、
必ず他の研究者からツッコミが入る。
うわー、読んだことない本についてコメント求められちゃったよ。でも「読んでない」とは言えないから、それっぽいこと捏造してコメントしとこ
━━となって、とりあえずエアプしてみたコメントは必ず他の研究者の目に入って「こいつ読んでないな」というツッコミが入る(研究者の世界は限界集落並みに狭いから)。
これは学問の世界ではよくある話で、『暇と退屈の倫理学』で有名なあの先生もエアプしたせいで即ツッコミを受けている(もちろん真偽の程はわからんけど)
➡︎参考リンク
なので、大学教授が軽々しくエアプするのは、やっぱり危険でもあるんだということを最後に言っておきたい。
コメント