国民的作家と言われながらも、意外と読んだことがないのが、夏目漱石です。
同時代に生きた森鴎外や樋口一葉に比べると、夏目漱石の文章は今の若者でも「まあ読める」レベルです。
「ありませんでした」が「ありませんかった」と書かれているものもあります。
つまり人によって、文体も語尾もバラバラで、それが許されていた時代があったんですね。
しかし、夏目漱石の小説が人気になったことで、
「よし、俺も文章書く時は、夏目漱石を参考にしよう」
という人が増え、夏目漱石の文章がスタンダードになったのです。
図解すると、こんな感じ。
夏目漱石以前のバラバラだった文章のベクトルを、夏目漱石が統一しました。
それ以降、僕たちがブログやTwitterで書いている文章は、夏目漱石のつくったスタンダード文章の上に成り立っているとも言えるかもしれません。
夏目漱石が「国民的作家」と言われるのには、こんな理由もあるのです。
では、ざっくりと、僕の夏目漱石の個人的ランキングを発表します。
長編ランキング
夏目漱石の長編は多いですが、『坊っちゃん』と『三四郎』以外はすべて大人向けの小説だと思います。
どの作品も、これといった大事件は起こりません。
動ではなく静のおもしろさですね。
1位 こころ
多くの人が、高校国語の教科書で読んだはずの名作。
教科書にのっていると、なんとなく品行方正な小説な気がしますが、『こころ』は三角関係でこじれた末に、そのうち2人が自殺するというドロドロのストーリーです。
こんなものよく教科書にのせるなあ、っていつも思います。
僕が最初に読んだときの疑問は、
──でした。
ただ、歳をとってくるとこれも分かるような気がしてきます……。
主人公の「先生」は完璧主義者に近かったのでしょう。
作中には、「先生の食卓に真っ白なテーブルクロスが敷かれていた」という描写があり、
先生は潔癖症的な性格、汚れを恐れる性格だったことが暗示されています。
友達を出し抜いて結婚したことが、先生の良心に影を落とし続けたのでしょう。
結局、先生は自殺をえらび、妻にはなにも真相を知らせず、妻の心だけは真っ白なままにしておきたいと遺書に記します。
暗い小説ですが、やはりどこか日本人のもろさというか、自殺に走りやすい傾向みたいなものが描かれてますね。
ただし、これでは妻は浮かばれません。
国民的文学でありながらも、女性からはかなり不評な小説です。
『こころ』の解説が読みたい人は、この本がおすすめです。
子供ができず、ひっそりと社会から隠れ暮らす夫婦の物語です。
『こころ』の自殺シーンのように、決定的な事件が起こるわけではありませんが、不穏な空気がずっと漂う雰囲気です。
それもそのはずで、実は友人から妻を奪い取った略奪婚だからです。
当時、略奪婚は重罪でしたし、そんなことが世間に知られたら、社会復帰もできなくなる。
だから、夫婦は罪悪感を抱えたまま隠れ暮らしているのです。
この雰囲気がすごい好きなんですよね、個人的に。
3位 坊っちゃん
夏目漱石の小説で、いちばん気持ちいい小説といえば、『坊っちゃん』。
ムカつく悪人がぶん殴られるストーリーなので、爽快感はMAX。
愛媛の松山が舞台になっていますが、作中ではかなり松山のことがディスられています。
にもかかわらず、松山では「坊っちゃん列車」など、『坊っちゃん』にちなんだ観光資源がたくさんあるのがおもしろい。
ただ、悪人たちを殴ったところで、結局、学校を辞職して去らないといけなくなったのは、坊っちゃんの方でした。
「大人は正義感をへたに発揮せず、やり過ごした方がいいのだ」という教訓も読み取れるかも。
『坊っちゃん』の解説本としては、養老孟司さんがおすすめです。
『坊っちゃん』をテキストに、養老孟司さんが中学生に対して授業をするという内容です。
「坊ちゃんはゲンコツでやり返すが、半沢直樹は倍返し」みたいな話もあっておもしろく、
「君たちはどう生きるか」という講義にもなっているので、かなり深いです。
4位 明暗
漱石が途中で亡くなったため、未完となった作品です。
お金が必要な夫。抜け目のない妻。その妻を嫌う夫の妹。
いろんな登場人物が、自分のエゴを隠しながら、表面上はニコニコ会話をするシーンが連続します。
このいやーな雰囲気は、「ライアーゲーム」に近い……。
『明暗』は漱石の作品の中で、最も会話が不気味です。
──みたいな、日本特有の「忖度」文化が、そのまま書かれています。
そして、主人公は温泉宿で昔の恋人に再会し、「さあ、ここからおもしろくなるぞ」というところで、ぶった斬られるように物語は終わっています。
漱石が死んでしまったのです。
前半に山ほど伏線っぽい描写があるのですが、いったい漱石はどうやって回収するつもりだったのか?
もはや知るよしもないですが、実は、水村美苗という作家が続編を書いています。
夏目漱石そっくりの文体で、『明暗』を完結させているのがすごいです。
『明暗』を読んだら、ぜひセットでこれもよまないといけません!
5位 坑夫
主人公はインテリ青年ですが、家出して銅山へ働きに行きます。
銅山の入り口に立つと、他の坑夫に、
どうだ。ここが地獄の入り口だ。はいるか?
──と言われ、後はずっと銅山の奥深くへ降りていくという、異様な小説。
夏目漱石の作品の中だと影がうすいですが、なかなかの傑作。
村上春樹もお気に入りの小説だそうです。
銅山内のリアルな描写もあって、読んでいると息苦しくなってきます。
なんとなく、『こころ』で自殺したKの心の中を下りているような気もしてくるのです。
人の心も、銅山と同じくらい深く、真っ暗に違いありません。
6位 三四郎
九州から上京した三四郎の恋愛をえがく、青春小説。
とはいえ、ふつうの恋愛小説とは違い、具体的にはなにも起こらない。
なぜなら、三四郎が臆病だから。
冒頭で、たまたま相部屋になってしまった未亡人の女性と同じ布団で寝るも、なにも手を出さずに朝を迎える。
翌朝、別れ際に、
あなたはよっぽど度胸のない方ですね。
──と言われてしまうシーンは、有名。
いざという時には、行動できないというのは知識人の弱点にも重なりますね。
恋愛小説といいながらも、いつも寸止めで終わってしまうという、モヤモヤなストーリー。
ちなみに、僕が初めてこれを読んだときは、すごい共感しながら読んでましたね。
知識ばかり持っていると、行動するのが臆病になりますよね。
7位 それから
主人公は、30歳になるのにまだ社会に実戦配備されていない(=働いていない)高等遊民。
親のスネをかじりまくり、働かずに本ばかり読んで暮らすのはなぜか?
主人公は、こう答えます。
世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟にいうと、日本対西洋の関係がダメだから働かないのだ。
──完全に、ニートの屁理屈ですね。
ただ、最終的に、過去に好きだった女が現れ、その女を他の男から奪うことによって、主人公ははじめて働くことを決意します。
ただ、当時は不倫は重罪ですからね。
彼ら二人が、その後ハッピーに暮らしたのかどうかはわかりません。
彼らの「それから」は不明です。
8位 道草
夏目漱石唯一の自伝的小説。
親類に金をせびられて、なかなか研究に集中できない生々しいシーンが書かれています。
実際に漱石も、親類から金をせびられていたそうです。
そのへんはリアルでおもしろいのですが、地味な夏目漱石の作品の中でも、ひときわ地味な印象。
ラスト、夫婦の間に子供が生まれるシーンで、主人公が、
世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。
──と言うシーンは、意味深長ですね。
子供をかすがいにして、夫婦関係が片付かないまま、だらだら続いていくことを示しているのでしょうか?
9位 行人
愛する妻が「実は弟と密通しているのではないか?」という被害妄想にとらわれた主人公。
主人公は「弟よ、私の妻と一晩よそで泊まってきてくれないか?」と、異様な頼み事をする。
夏目漱石には珍しく、あらすじだけでも興味を引かれるます。
しかし、実際読んでみると、登場人物がひたすら答えのない問答をしているという会話中心のストーリーです。
夏目漱石は『文学論』という本で、
科学とはhowを問い、whyを問わない
──と言っていますが、作中では、このWhyばかりを登場人物に追求させています。
観念小説っぽい感じなので、読む人をえらぶかも……。
10位 草枕
とある画家が宿に泊まり、その宿には美人のバツイチ女性がいるのに……何も起きない。
恋愛沙汰はぜんぜん起こらず、画家の一人称による芸術論が語られるという「ウンチク小説」。
主人公の画家は、美人がいるにもかかわらず相手のプライベートにはかたくなに踏み込もうとしないんですよ。
女性に大胆にアタックできないところは、青春小説『三四郎』と似ているけど、『草枕』の主人公は調べてみたら30歳でした。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
冒頭の文学ラップは有名ですが、実は続きはそんなにおもしろくない小説。
11位 彼岸過迄
6つの短編が連続して書かれており、それらの物語がどこかつながっているという構成。
いわゆる「連作短編」です。
実は本書を書き始めたとき、夏目漱石は30分だけ死んだそうです。(修善寺の大患)
そのときの臨死体験が、夏目漱石の作風を変えたらしく、本書もどこか死の予感がするほんのり暗い話です。
あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終わるんです。
──という文章が印象的な、静かな物語です。
12位 虞美人草
これもまた、男女の三角関係をめぐるストーリーです。
夏目漱石の作品にはめずらしく、藤尾というはっきり物事を言う強い女性が登場します。
明治時代としてはめずらしく、「自分の結婚相手は自分でえらぶ」と宣言し、お見合い結婚を拒否する藤尾。
ただ、物語の中では、藤尾は明らかに悪役っぽい描かれ方をしていて、夏目漱石は彼女に残酷な死を与えています。
──男女平等がすすんだ今の時代では、ありえないですね。
よく考えると、夏目漱石の作品には、貞淑で夫の言うことをよく聞く妻ばかり出てきます。
藤尾のように自分の意思をはっきり示す女性は、漱石の好みではなかったのかもしれませんが……。
やはり、今読むと、「時代が違うなあ」と違和感を感じますね。
あと、『虞美人草』は夏目漱石の作品の中でも特殊な文体で、美文調というか、もって回った言い回しが多いので、読みにくいです。
3人以上の登場人物がしゃべっているシーンでも、誰がしゃべっているのかよくわからなくなるので、まだ夏目漱石が未熟なころの作品ですね。
13位 吾輩は猫である
夏目漱石の作品の中で、いちばん有名かもしれませんが、おそらく今の若者(僕も含めて)は、最後まで読めません。
なぜなら……。
・まず文章が読みにくい
・風刺が分かりにくい
──こんな理由があるからです。
わりと昔の日本語の文章が好きな僕でも、夏目漱石の作品で唯一『吾輩は猫である』は最後まで読むのが苦痛でした。
猫が拾われて先生の家に住みつき、猫の視点から人間の生活を皮肉っぽく描くという、この構図はおもしろい。
でも、猫の目から描写される人間たちの会話が、読んでてもつまらないのです。
名前も知らない学者の名前、変な学説、自慢話、そんなものが延々と書かれているので、これは読むのが苦痛です。
起こる事件といえば、最後に猫が酔っ払って溺れ死ぬことくらい。
『吾輩は猫である』は別に読まなくていいと思います。
ただ、当時の日露戦争や帝国主義を、暗に批判しているシーンもあるので、
この解説本を読んで、『吾輩は猫である』を読んだことにしておきましょう。
短編ランキング
夏目漱石の読むべき短編は少ないです。
3つだけ紹介します。
1位 夢十夜
「こんな夢を見た」という出だしで始まる、10個の夢物語。
第一夜がいちばん有名で、死んだ女が100年後に白百合になって男に会いにくるというストーリー。
女に植物になられても困るし、100年も待てないやろ、という批判は通用しません。夢だもの。
そしていちばん怖いのが、第三夜。
我が子を背負っていたら、自分がその我が子を殺した過去を思い出すラストがまあ、怖い。
お前が俺を殺したのは、今からちょうど100年前だね。
━━というセリフが怖すぎる、夏目漱石最恐のホラー作品。
第一夜と、第三夜が必読です!
2位 文鳥
主人公はおそらく夏目漱石本人。
かわいらしい文鳥を飼うのですが、ちょっとした不注意で死んでしまう。
小さい生物の命の軽さと、人間のムダに長い寿命を皮肉っているような、切ない短編です。
どことなく、切ない雰囲気があって好きです。
3位 趣味の遺伝
(『趣味の遺伝』はこの本に収録されています)
「恋愛は遺伝する」という仮説を探偵していくという、ロマンチックな短編。
祖父の代で報われなかった恋愛が、現代によみがえる、的な。
さすが、I love youを「月が綺麗ですね」と意訳した、ロマンチストの漱石ですね!
ただ、ラストが破綻している失敗作なのは残念。
その他のエッセイ
夏目漱石の書いたエッセイで読んでおくべきものは、一つだけです。
私の個人主義
夏目漱石の講演を、文字起こしした本。
学生に語りかける感じのタメ口で話しているので、めっちゃ読みやすい。
・個人主義と利己主義はどう違うのか?
これを読むと、このへんのことがわかります。
当時、戦争中は国に尽くすのが当たり前の時代に、「個人主義」を語るのは勇気があるなあ、と思います。
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える。
これを公の場で言い切った夏目漱石、マジ、カッコいい。
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